愛は刺青

先週久しぶりに実家から連絡があって、なかなかに堪えた。あと一歩で泣くところだった。梅雨になるとこっちもなんとなく地元に似てくる。春も夏も秋も冬も、こっちのそれはわたしの知ってるそれじゃなくて、「地元にいない」ことをありありと感じられて安心したけど、梅雨だけは地元と一緒。充満する雨とはっぱの匂いにあてられて魂だけがふらふら地元に戻っている気がする。

お母さんの青アザはそろそろ消えて、歯形だけが消えずに残っているんだろう。弟の部活が終わる。中学が終わっていくんだね。お父さんはCABINを吸って灰をきれいにかたづけない。おじいちゃんとおばあちゃんはいつも言い争いをして、それが二人の愛なの。お兄ちゃんはいつまでも甘ったれで怖がりの弱いひと。

お母さんの子供がもう高校生になったらしくて、連絡があったんだって。おかあさんは私たちと同じくらい子供が好きで大切でその子達のためだったらいろいろなことができちゃう。まるばつカードを延々と作って、講義に行って、私に本を読む代わりにその子のために泣くんだ。肉を抉られてまるで刺青みたいに消えない歯形がついても、引っ掛かれても、他の人から白い目で見られても嫌われても。私はお母さんと話したいがために手話を覚えたし漫画を読んだけど結局うまくはいかなかったな。人に優しくすることはドラックだ。優しさは猛毒だ。抜け出せないままずっと人に優しくしたらお互いの心が腐敗する。

ネタやからかいでいちいち傷ついている場合じゃない。一人でやっていけるように成らなくちゃいけない。デブとかブスとかしみじみ言われる可愛くないねぇとか。私だからみんな言う適当に気を使った暴言にも面白く返せなきゃいつまでたっても擦り傷が消えないんだ。

自分のフィールドに好きなひとを引っ張って消費してしまったような気がして、昨日は自分の女々しさといやしさに辟易した。本当にずるい!卑しい!私は自分がされて一番嫌なことをすきなひとにしたのでは?!うわあ結構最低。と電車のなかで一人アタマヲ抱えたわけなんです。ただ時間は戻らないから仕方ないかッ!ってむりくり思考を止めたりしました。515円の傘はもう515円以上の価値がある。ようは時間の経過が大切なんですね。なんとなくいつも人に会うと話せなくなっちゃうのも時間が現在から過去に恐ろしいスピードで流れ去っているからなんだ。私はそれをびくびくしながら見つめているしかなくて、そのせいで過ぎる時間に上手く溶け込めないような気がする。だから無言という椅子にわたしだけ座って楽してるんじゃないかと。人間関係で無言と不機嫌はイスが一つしかないイス取りゲームだ。上手くやるためにはどちらかが座ったらどちらかは座れないっていう状況を甘んじて受け入れなければならないんだ。もっと人に優しくありたい。

ザ・トライブがもう一度見たいと切に思った