彼誰時の骨

苛立ちが肺に切々と募る。あの人間がわからない。これっぽっちも覗けない。悲しみがそこここに積もる。本のページにも、ビイルの飲み口にも。ノルウェイの森で緑が言うじゃない、私があなたにしてあげれることが少しもないみたいで悲しいって。私がワタナベ君、と呼びかけてもあなたは自分の殻にぴゅっと閉じこもってしまう。みたいなニュアンスのこと、緑が言うよね。この煮ても焼いても食えない絶望はたぶんそれに似ているんだよ。それにしたって部屋の隅にある暗闇ってものはどうしてあんなに優しいのかなあ。部屋の中はいつまでも青くて安全だね。ずうっといると骨が軋んでいく音が聞こえる。それがだんだん内蔵に溜まって昏い快感になっていく。

たとえばあの中毒性の透明を一気に飲み干したとして、そのおかげで体に変化があったとして、そのままいつもみたいに人間と寝たりできたんだろうか。せっかく出会ったんだから二人して足りないところ満たしあって終わろうよってできたんだろうか。セックスはコミュニケーションじゃない。コミュニケーションなんていうものじゃない。もっと残酷で扱いにくくて逃れ難い。醒めたりしたらはいおしまいってな感じで、そのあとは取り返しのつかない、リカバリー不可能な関係の破綻とすれ違いの連続で摩耗するしかないんだ。どうにもならなさがコミュニケーションとは段違いな気がしたんですが、それは私が痴れた女だからやもしれません。

人間を好きになってしまうのは、落ちるのと、落とされるのと、いつの間にか落ちているのと、もういいやって落ちていくのと4ツでしか説明できないと思ひます。あの日車の中でなにか確実に奈落に落とされたような感覚がしたのでした。手を取られた時も、眠いって言って頭が揺れてそれを覗かれている時にも。私はあの人間に落とされた。もはやラリるためだけに自家発電する必要すらなくて、それはあまりにも久しぶりの安堵でした。いや、安堵とも違う、被征服によって生まれた消極的な自堕落に快感を覚えてしまったのかもしれません。たとえそれが刹那的なものであったとしても。とてつもない期待で頭のヒューズが飛びそうでした。あの薄皮一枚隔てた骨にした、思慕のキスで精一杯でした。

あの人間は私にとって宗教だ。信仰の対象だあるときには私を救ってくれず、またあるときにはめためたに甘やかす。殺しあえればどんなに楽か。ねえそういえばどんな話だったっけ?明け方まで話していたことあんまり覚えてないなあ。

私にとっての「あの人」はあなただったりあの人間だったりするけど、あなたの文章に出てくる「あの人」が私だったことは一度もないね。そんなの読んでたら分かる。けどそんな関係の不具もこれからは気にしないでいられると思うんだ。圧倒的な電流が未知の六畳一間で流れて、私も真人間になったんじゃないかなと。九州で人間になってこれた気がするわけ。

これから嘘をつきますよという嘘を笑って吐いたあの人の弱さがただひたすらに暖かくて悲しいと、涙とタバコで灰色の雲を精製しながら考えています。鈴虫が鳴いたりするの許せません。秋っぽいモノはもっとスイッチを変えるみたいに一気に来てくれないとめそめそした気持ちにさせられてしまうので辛いです。細切れに毎日死ぬことでしか日々をやり過ごせません。努めて寝ますおやすみなさい。