さよならの近似値

ぬくもりを求める手は祈る形をしている。缶コーヒーに重ねる手のひらは温まった先からぐんぐん冷えゆく。いつもグラグラで、他人に優しい自分を許せないみたいだったね。そういう自己矛盾に内側から蝕まれているようなすさまじい不器用さが良かった。温かいから求められているのではなくて、温めたいから求められている事に嫉妬しても暖簾に腕押しだったね。

 

優しいものは白々しくて、そのせいでいつも間違える。沈黙を食らって言葉を吐き出しても天秤は釣り合わない。いつだって沈黙の方がずっと重い。何か予感を孕んでいるから。

 

最近いろいろなことを思い出す。過去の中で息をしている。酸素が足りなくなっても、一緒に這い上がってくれる君は二時間先の街にいる。君はいつでも理論整然としていて、理性的で打算的でそれを鼻にかけない賢さが好きだったんだなぁと思った。よくひどいことで笑っていたよね。白々しい表情を隠しもしなかった。でもひどく面白いことを求める時の品の良さが好きでした。

こんな負け試合してて何になるんだよとも思う。買った服や靴を君に会う時のためにとっておこうと考えたって、君は私の姿かたちを一瞬だって見ていない。

 

 

 

私に付きあってくれた帰り道、好きでこんなことしてるんじゃないって言ったの今でも覚えてるよ。あなたのことアクセサリーみたいに言ったね。たぶん君はいろんな人のために毎週毎週アクセサリーしてあげてて、きちんと対価を払っていて、でもこんなのは不自然だよね。私は君のアクセサリーにもなれない。いつも透明人間みたいな気持ちになるよ。勝手に傷ついてごめんって思うけど、感じることは止められない。それを責めるのはフェアじゃない。痛い寒い悲しい。君は自分で自分の機嫌を取るのが上手だよね。自分だけで評価が完結しているよね。外から入る隙なんてこれっぽっちもないみたいに、君は他人を峻拒している。それが分かるとき、私は透明人間で、相槌マシンで、返事をするtwitterだ。

 

自分で自分を肯定する行為は、暗に他人を拒んでいる。他人を透明にする。

 

さよならに似た何かを交換し続けて、君のいる街の匂いは独特で、朝は曇ってばかりで、会話は同じところを行ったり来たりだ。

同じところを回り続けている、君と私は先にいけない。

 

 

全部恋だと勘違いして左側を歩いた

 

もう9月も終わろうとしているの許せません。何も終わっていないのに季節はぐんぐん過ぎ去っていく。ムカつくよ。半年くらい前にお家を引っ越したので、いまのお家には屋上があります。お家の中で屋上が一番好きです。今日の夕方屋上で、金木犀のお酒を飲みながらラグを敷いて寝転がってたらあんまり悲しくて泣きそうだった。いやうそ、かなしいんじゃなくて寒かっただけかも。なんか寒くて悲しくなったりするのウケるね。

 

毎年同じことを同じ時期になると感じていて、同じようにふさぎ込んだり匂いを嗅いだり、まるでコマみたいに同じ軌道をめぐるだけ。あなたは別の人を好きになったり、好きになろうとしたり、私のことなんてずんずん忘れて楽しく暮らしていたりして、ははー、全く回るコマでもどこかに重心が傾くと前や横に進んでいくんだなぁと感慨深いよ。同じところをずっと回っている私とは違うんだね。同じ穴の狢だって笑いあったのに。

 

美容院に行ったので今の自分が一番良いと思うんですけど、誰に会う予定もなくて空しい。めいいっぱい可愛くして、着たい服を着て、出かける前に香水を付けたり、そういう営みをしていたい。じゃないと、何のために自分はバイトしたり化粧をしているのか分からなくなって心が急速に荒んでいく。

 

すぐ人に寄りかかろうとするの悪い癖です。甘える、傷つけるし後悔する。許してもらおうとする。コミュニケーションは受け手が100%というツイートを見て、膝から崩れ落ちそうになるほどショックでした。ねぇなにもかも許してもらってたんだよ私は。キツイ言葉遣いも労働の後に労ってあげないのも、テンションを上げられなくてイライラしたことも。人を許してあげてるような気になって、何様だったんだろうか。人よりできるような気持ちになって、分かるような気になって、何様だったんだ。死ぬほど傲慢で怠惰だ。他人にコンテンツを求めるばかりで、自分は何も…

 

他人をすぐ自分より下か上か判断して、下だと思っている人間には強気に出ているチンピラみたいな内面が自分のうちにあると自覚した時、本当に自分はなんて人間だろうと思った。

 

誠実でいたい。人に優しくありたいよ。出来ないことを許したり、できないことを許されたりするのが愛だと思っていたけど、そうじゃない。できないことを許されている自分を肯定できない限り、自分は愛されていると感じることはできない。

傷つけた時ちゃんとごめんなさいって言うね。傷ついたとき傷ついたって言ってばっかりでごめんね。相手にも言い得なかったことがあることを想像できる人間になるよ。育った環境も感性も容姿も能力も違うのに、君のこと羨まないって誓うね。努力するから、欠けたところを自分ばかりが補っているって、そんな風に思わないようにするね。

 

でもやっぱり私ばっかりで悲しいな疲れるな不当だなって、どうしてもそう思っちゃうときがあってさ、そういうときはどっかの知らない誰かじゃなくて、あなたに会いたいと思います。あなたの心にはわたしのためのスペースがどこにも残っていないってわかっていながら。

 

 

生きようと試みなければならない

それ以上何も考えられないくらい寂しくて頭に来たり、好ましい人を目の前にしていると鋭い刃物で身をえぐられるような切実な痛みを感じたりすることが日夜あるんですけど、そういう時自分が馬鹿に健全な器官だなと感じます。今では何かが確実に失われていてまったく元の形に戻ることはないんです。私以外に面白がりたい人があなたの前に現れたなんていうことは容認しがたいよ。ムリすぎる。

 

如何とも言い難いですが、なんというか順番待ちをしている気分です。あ、あいたからここ入ってしまえーとか、空いてきたっぽいからちょっと並ばせてもーらおってな風に場当たり的に他人を選んでいる気がして卑しい。並んでいるつもりが違うレジにいるみたいな。隣のレジが早く流れるから、「あ、ちょっとこっちに移動してみようかしらん」なんて、よせばいいのに動いちゃってハブかれる。いつもグラグラで、待ても出来ない人間だ。

 

 

 

久々に”アデル、ブルーは熱い色”を観ました。死ぬほどつらくなっちゃった。いつもアデルがホームパーティーで給仕するシーンで抗いようなく泣きそうになっちゃう。アデルはお客に食べ物を取り分けてあげるだけで、ずっと辛そうで、好きな人の過去の足跡とか、好きな人から抜け落ちない”誰か”の痕跡を感じながら、優しさを他人に与えるだけで観ていて痛々しい。要らない人の愛ばかりが蓄積されて、好きでもない人とセックスして、一度した失敗はリカバリーできない。本当に最高の映画だと思います。大好き。身勝手さが自己完結していなくていいです。他人と好き合うというのは、身勝手さを他人にこれでもかと曝け出さざるを得ない行為だよ。みんなじたばたしていてキツイ。好きな人には綺麗なところだけなんて見せられないじゃん。愛していると思うとき、そこには憎悪があると思います。他人の呆れたところも許すことが愛なんだと思いたい。

 

好きな人の自己犠牲を物わかりよく受け入れることなんて、そんなのファッションじゃないかと感じてしまう。風が立つ、生きようと試みなければならない。綺麗なところだけ見てほしいなんて、そんなの理想的すぎて受け止めがたい。

 

死ぬ時も見てて。わたしを観測していて。憎んで。正直に話して。傷つけて、傷ついてよ。人生がフリー素材になったから、いろんな人にすり減らされちゃうけど、でもあなたになら消費されていい。ダメなところも汚いところも嫌いで好きでいて。生きようと試みるというのは、汚く、また高潔でいることであってほしい。二人で白黒つけられないからごちゃごちゃでいようよ。汚いところも嫌いで好きだよ。死んじゃうならアクセル踏むから、二人で加速しよう。

みんなのこときらいですきだよ

 

貴方の腕が地平線の全てでした

世の中のものを鮮明に見てしまうので、よくよく傷ついている。もっと解像度を低くして人間とか出来事を見られたら、こんな風に悩んだりしないはずなのに。

 

貴方といる時は時間が流れるイメージをずっと持っていて、耳とこめかみの間の空間で、時間がゴウゴウ音を立てて流れ去っていく。話したいことはすぐどこかに行っちゃうし、思ってもいなかったことを口走ってしまう。多分本当にお伝えしたいことなんて誰にもわかり得ないから、こんなことになっちゃうんだ。

 

今が、すさまじい勢いで過去になっていて、すぐそこにこれから来る未来があるけど、触れることはできないし、予期することも出来ない。

あなたと別れたその後は、過去ばかりを精査してしまいがち。気持ち悪いね。気味が悪いよ。君が悪いんだよ。どこにも寄りかからせてくれないせいだ。

 

 

なんか書いててばからしくなってきました。いらいらする。文体がどうとか、これはうざいかなとか思ったり、バカみたい。キーボードを強くたたいてもいいことなんて何もないのに、言い得ない言葉たちが内側でどんどん暴れて、抱えきれなくなっていくので全部苛立ちに変わります。私はあなたになれなくて、あなたの言葉は手に入らない。腹が立ちます。才能はどこにもない。得意なことがあっても、それは才能じゃない。みんな勘違いをしていて、褒めてくれてありがとう。でもね、私は自分が平凡であることが分かる。全部分かってんのよ。だって今まで誰かがやってきたことを違う言葉でやり直しているだけです。悲しいよ。誰にも面白がってもらえなくなるんじゃないかって怖い。

私が私に飽きるので、勿論あなたも私に飽きるわけです。こんなの分かりきっていることなのに、自覚してはその都度傷ついてて、うまくいくわけないんだよ。

 

貴方の前では強がっていて、いたい私ではいられず、そのままのイメージでどんどん時間は流れるし、泣きたい気持ちです。リカバリーが全然効かないんだよ!時間は戻せない!自明のことじゃないですか。疑いようもなく、過去には戻れないじゃん。なのにあの時のあなたが好きだったとか、あの言い方が嫌いだったとか思うばっかりで、今の、いま!今のあなたのことは、視認するだけで情を持つことが出来ない。

 

あーあーあー、みんな大っ嫌いだよ

 

貴方は実は死んじゃってて、なんにも語る資格がないよ!と自分を戒めているんだとしても、私は貴方のお話が好きだと思いました。

貴方の語る言葉が、貴方の声そのままで夢に出てくるので、その都度泣きたい気持ちで朝を迎えています。でもそんなことは絶対知らないで。2時間先の街で、死にたくなったり面白く生きたりしてほしいです。

 

prisoner of love

誠実に、きわめてただしく人を大切にしたいと思うんですが、本当にうまくいかない日々で参ります。ここ数日でドラマの「ラストフレンズ」を一気に見たんですが、錦戸亮にあまりにも感情移入してしまっていて、辛い。そのせいで人を愛しているとか、愛していると伝えるやり方とか、もう全然分からなくなっちゃっているってわけなんです。

暴力に走ってしまうのも、大事なのに傷つけてしまう矛盾に苦悩するのも、あまりに人らしく不器用で、好きだーと思った。ラストフレンズに出てくる人たち、みんなダメダメで最高です。ままならなさみたいなものを抱えてもなお生きていかなければいけないものですし、明日はお休みだから生きているし、明後日は好きな漫画が読めるから生きているし、そんな強烈な目的意識なんてないまま、場当たり的に生きていてイイ。

 

貴方の言葉や振る舞いが好きで、貴方のつくるお話が好きです。私がもし大富豪だったら、いのいちばんに貴方と何らかの契約をして、あなたの一番最初の読者でいさせてほしいと言ったと思います。ヒールになりきれないところが私たち似ているって思う。人間というものとのお話や相互理解を諦めていない所が好きで、でも会えば伝えたいことは言葉にならない。貴方はいつでもその場その場の思い付きでインスタントに優しくて、傷つけるようなことは一切言わなくて、でも私のことなんてあんまりどうでもよかったみたい。

私が貴方に向けてお話を書いたとき、それは他に人にあてたものとは違って全部現在形の文章で、それに気が付いたとき自分で嬉しかった。貴方は他の人とは違うって、わたしはいつでも思っていたいようでした。

 

紫陽花のある木曜日

 

最近、芸術に対するうしろめたさがピークに達しつつあります。

芸術に、モルヒネ以上の何かを求める私ですが、みなさまは違うんだなってことをひしひしと感じる日々で参ります。アートで地域活性化とか、いつも言われてしまう。

 

私たちはいつだってラベル付けされる側の人間で、でもそれは常に評価とは違う。区分されるのみにとどまって、良し悪しを語られる段階にはたどり着けない。嗚呼これが!これこそが田舎にいるってことだよ!田舎にいるっていることは、揺るがない価値基準を持ってしまっているということだ!身体がどの場所にいて、どんな経験や刺激を得ているかなんてことはさしたる問題ではない。渋谷を歩くことと、田んぼのあぜ道を歩くことにたいして違いはない。問題は受信するチャンネル。開かれた耳を持つこと。それは変化、あるいは断念。君を振り付けなおすこと。自らが踊ること。その自分を許すこと。

 

 

私に必要なのは、私以外の誰かといる時の方が私といるより楽しそうにする君を見ても、傷つかないこと。他人と踊る君を見ても、君を許せる私でいること。

そんなのはどだい無理な話なのかもしれないですけど。

 

上手くいかない原因を自分にも他人にも半分ずつ求めたいですが、まぁやっぱりそんなに器用ではなくて、どちらか一方に偏りがちで、人に嫌われます。

今週来週と好きなお芝居を見るのですが、様子がうかがいしれるたびに背骨とみぞおちが粟立ちます。私が分かり得ない君、その君自身すらわかり得ていないものが、文章と振る舞いに表出するのかと思うと、君が好きですと言いたくなります。

 

僕の遺伝子が君に残ったはずだと、もらったその言葉だけを大事に大事にして、それ以外で君が私をぞんざいに扱っても耐えられるように。たとえその言葉がお酒のせいだったとしても、世界で一等嬉しかったのだと伝えられなかったとしても。

 

 

 

腰椎に雨

手紙を書きたい。言葉に出来なくていつも持ち帰ってきてしまうものばかりが私を苦しめます。あなたに手紙を書くために、素敵な便箋を見つけるといつもどういうわけか買ってしまう。自分の生活や日常をお伝えしたりお聞きしたいと思うんですが、会えばいつもそんな言葉はどっか遠くのほうに追いやられてしまって、どうでもいいことを話している。でもこういった類の感情は、手紙にしたって伝わらないものです。言葉とか無い方がピュアにコミュニケーションできるのではないかと常日頃から思うのですが、あなたの書く文章が、世界で一等好きなので、やっぱり言葉で伝え合いたいし傷つけあいたいと思う次第です。

貴方の前では格好つけてしまうので、前も後も触れられないのですが、本当は肺まで満たされて眠りたい。雨の日にセックスしたいし、お花を飾りたい。あなたの片腕の重さと体温を忘れないようにと努めるのですが、どんどん掴み難いものになっていてしまいますから、そういうあれこれが悲しい。

 

愛とは他人を許すこと、他人に許される自分を許すこと。

出来れば優しくしていただきたいけど、辛い言葉や感じ方の冷たさでさえも好もしい。

 

自分にはゲバ名があるんですが、そういうモノがあると名前ごとに人格を使い分けたくなって、いつのまにか自分がどんどんあやふやになって行きます。

このお名前で会った人の前では苛烈でいたい!と思ったり、このお名前であった人の前では天邪鬼でいたい!とか、そうやっていると、本名の私はずんずん薄くなる。私は私の名前が好きですが、そういってくれる人は世界のどこにもいないんだ!と声高に叫ぶ自慰行為では!もうぜんぜん満たされません。私を許して、私を見て、褒めて、認めて、面白がってくれ。

資本主義とセックス、流行りすぎでウケるね。あなたの夢ばかりを見ます。