2時25分

安心したい誰かのせいで、いつも安心できないのは自分です。何もかもほしいって思っても、何にも手に入らない。こんなにだれとでも話せるツールがあるのに、誰とも繋がれないのはどうしてなの?みんなだいきらいでみんなしんじゃえって思っても、次の日にはもうだめで、面白がって!ねえ面白がって!私と一緒に加速して!って思っている。

隣人のことを愛したい、人間はかくあるべし、愛よここにあれ。かけがえのない存在なんて、絶対にいなくて、みんな何もかもに変換代替が可能なんだなって思います。それが資本主義ってことなんじゃないの?

もう何も考えたくないんです。誰かのために買った服も、気取った靴も。どこかにおいてきたいのに、捨て置けないのが人間でしょうか?冴え冴えとした空気の中で、私は常に鬼で魚です。私の肺の中にはあの人のためのスペースが少なからず用意されていて、けどそれがどんどん歪んだり切り刻まれたりするせいで、人とじょうずに交わることが出来ないんだ。

階級からの脱出

就職したくない、誰かに雇われないで生活したい、何もしたくない、何かを成し遂げないと面白がってもらえない、綺麗でいなきゃ好かれない、不細工でも認められたい、努力できないのに大口叩く自分が憎い、みんなのことが嫌い、みんなのことが好き、西洋美術が好きになれなかったうしろめたさ、美学に逃げる自分の弱さ、そんなものをいつもいつも背負って、重たい重たい言うことで満たされている矮小な人間です。

 

東京に久しぶりに行って、しかもそれは上野で、地名に輪転された記憶っていうのはこうも残酷か。駅の匂いはこんなだったっけ?どこに行って、どこで迷って、どこで好きになったりどこで嫌いになったりしたんだっけ。

 

芸術というカードしかもう手元に残っていない私は人の倍いろいろを見て、学ばなければいけないのですが、もうどうしたらあのお芝居や、あのセックスや、あの映画以上の何かを自分で創造できるのかってわからない。私は芸人にもピエロにも学者にも論客にもなり切れない。

政治も芸術も美学も、普段の生活の中ですることにしか意味がないって強く思うんですけど、私にとってはいまだにそれらの何もかもが非日常で、生活の中にそれがひたひたになっているかって言ったらそれも分かりません。ただ、私は面白いと思った人に面白がられたい。生活や倫理や道徳や経済や性を手放してでも、何かをして、面白がられること、それで誰かの生活が変わることにしか、快感を見出せない。

って、上野に研修に行ったときに思ったんですよ。

 

上野に行ったら絶対身動き取れなくなるって思ってた。地名や天気に記憶が滑り込んでまた腹の中焼けるようになるって、肺から死にゆくって思ってた。でもそうならなくて、それが寂しいとも思わなくて、過去の人になってしまった虚無感と昏い喜びを感じながら、展示を眺めた。

人に捨てられて、人を捨てています。取捨選択をどこでしているのか、自分で探ることは、子供時代を思い出すような甘美と嫌悪です。私もあの人が欲しかった。あれが欲しーってずっと思ってた。あれが私のにならなことに、駄々を捏ねるのもバカバカしい。

 

革命します。人の意識を振り付けます。気勢を張ります。人に迷惑をかけます。人の行動と感情を芸術で救ったり、そのことで私自身が救われたい。前例のないことの中にしか、私は生きていけません。

雨が降らない

来世で会おうはロマンチックじゃあない。ロマンチックっていうのはさよならした人の匂いを思い出せなかったり、地名にべったり張り付いた記憶のせいで一瞬焦点が合わなくなったりすること。そんなやっかいな感情をもて余すせいで肺がアルカリ性から酸性になったりすることをロマンチックと呼びます。

果たせない約束をしたら、爪を切ってください。またね、が、さよならのとき、匂いは新宿の7番ホーム。液晶画面と夕方の境目から迷い出てきたサンショウウオが盧溝橋に横たわるせいで革命路線は夢の大渋滞5mm。
いつまでも会えない会えない会えないで、捨てたり拾ったりきらきらに加工してみたり泥を塗りたくったり罵倒してみたり、私はこのまま左にも右にも行けないまま!誰ともわかりあえないままだよー!って、こんないい天気の土曜日はそういう自慰をしがちです。

世界が一点透視図法の中心で最高速度になった話

今日のブログが、不幸をひけらかすものになりませんように。なぜなら私は幸せだから。努めて正確に書けますように。これは懺悔じゃない。反省でもなく感傷でもない。

 

ずいぶんと早く来いと言われて、目に雪が刺さるなあ、私は絶対カイみたいなのにゲルダはいないんだとしくしくしながら向かった。温かくて消毒液とミルクと掃除機の匂いがして、みんなのっぺりとした顔、顔、顔。みんな二人一組。あるいは四人一組。

案内されるまでにずいぶん待たされて、じゃあもっと遅い時間でもよかったじゃねえかって思う。何かの成分ががぽとりぽとりと落ちるのをずっと見てたら、時間と空間が引き伸ばされたみたいに長くて長くて何もかもが円環になりました。立つときにきちんと立てたのに歩き始めたら足がよろけた。それは慣れない服のせいだった。みんなと同じ服を着せられているから、私は番号に終始してしまうんだ。

 

ぱくぱく動くのが心臓だろうと口だろうと耳の穴だろうと私の血管だろうともうなんだってよかった。数字がひたすらつらかった。だれも責任を負いたくないのが目に見えて分かった。年寄りは嫌いだ!お前が大嫌いだ!お前のその不躾で乱暴で自信過剰なところが大嫌いだくたばれ大味野郎!と口に出して言ってやりたくなった。数字になってしまったら、それはもう実感できるものじゃなかった。とてもじゃないが私には直視できなかった。思考するたびにすこぶる頭が痛くなる。私は救いようのない水差しみたいな顔をしてた。

 

ガチャガチャカチカチ金属のトレーの上で器具がぶつかって鳴る音がひどく怖くてぶるぶる奥歯が小刻みに震えた。こんなの演技以外でしたことない、私はやっとここまで来て道化じゃなく、きちんと悲しいことを悲しいって言えるようなまっとうな権利を得たんだ!って無理やり思いながら、あーあばっかみてくそくそくそきらいだお前なんか大っ嫌いだあっちいけ!って追い払ったりしてた。

絶対に眠くなるからねと、手を握りながら言った人の顔が、メガネを外したせいで全然見えない。なんで私メガネをしてこなかったのか分かりません。手を握ると握り返されるのが恐ろしくて嬉しかった。手に力がこれっぽっちも入らない

 

そこからは早かった。最初に視覚がどこかに行ってしまった。ゆっくりゆっくりめくらになった感じ。光だけは最後まで瞼の中にうようよしていて、何の形か分からないんだけど、私はそれが「絶対に何かの形である」ということを知ってる。人の気配が次に分からなくなる。どこに誰がいたとかそんなことが本当に1刹那で脳みその中から吹っ飛ぶ。嗅覚もだいたい同じ。なんの匂いもしなくなる。泣いていたのに頬が冷たく感じなくなる。最後まで残るのは聴覚で、いつまでも何かの音がしていた。

 

オレンジ色と、黄色と白と黄緑色の新幹線みたいな光が、一点透視図みたいに並んでいるんだけどそれが妙に右上にばかり集まっていて、左下は何色だったか覚えてない。その光が集約している一点に急速に向っていくんだけど、到着した瞬間に別のベクトルが現れて、奥に向って急速に進んでいた感覚から、今度はそのまま右横に引っ張られていく感じ。新幹線の形の光は、今度は立方体になる。光の三原色が何かにぶつかるたび二重、三重に見えて、どこに視点を定めていいか全くわからなくなり、混乱する。右に引っ張られて、今度は後頭部のほう、眼球のほうに光が吸い込まれてくる。ゴーゴー音がしている感じ。その大混乱が終わると、また光の形が安定してきて、何かの形に落ち着く。私が「絶対に何かの形である」と知っている何かになる。

 

そうすると何となく誰かの声が聞こえてきて、でもそれは誰に言っているのか、どこから聞こえてくるのか、何を言っているのか全く分からなくて、でも端々からだんだん日本語だと分かる。目を開けていいの?起きていいの?もういいの?ってずっと思いながら、体は全然動かない。「声を出さないでくださいね~」と言われたような気がする。右の視界に人影が写る。

どこかに行こうとするから必死で声を出そうとする。いや、必死じゃない、行かないでほしくて何となく、ほら風邪をひいたときみたいなあんな感じの甘ったれでさ、人を呼び留めようとする。手を伸ばすけど、ホントに伸ばしていたかはわからない。ゆめをみてた、ゆめゆめゆめ。とその人にむかって言いながら、母音しか発音できていないような気がしてぞっとする。嫌に焦る。いつの間にか天井がピンク色になっている。カーテンレールが二重に見える。人の頭が二重になっている。どこを見ていいのかわからない。何もかも夢?夢だったのか?という錯覚を5回くらいする。ベッドから降りたときは全部覚えていたはずなのに、記憶が吹っ飛ばされると、前後もごっそり抜け落ちるんだなって思った。

 

ゆめをみてた、ゆめゆめゆめ。もうおわり?なにこれ?ゆめみてた、なに?おわり?おわった?おわり?いたい、いたい、やだやだやだ。ゆめ?もうおわり?

 

口がぱさぱさなことに気付く。口が半分開いていた。動かそうにも動かないし、舌もどこにあるかわからない。だんだん見たいところに視点が行く。首が動く。大きい電気の下にあった、何か非常灯みたいな小さなでっぱりが、ずーっと大きい電気にゆっくり近づいてる気がしてたけど、それもなくなる。電気と非常灯は近づいていない。夢じゃなくて何もかも終わってたってことは、血圧計を付けられていることで知る。

 

これが私の2月29日です。あと4年は訪れないことを、隣の人の会話の中で思い出しました。肉体がなくなり極限まで緊張して研ぎ澄まされた精神が実感できるのは、光と何かが(自分が)動いているときの速度だけです。肉体と精神がまったくもって完全に乖離する経験をした。私は今日一回死んだんじゃないかしらん。ただあの光と急速な動きだけが目を閉じてもやたら思い出されます。夢じゃないと分かったあの時の安堵が、家の布団の匂いのせいで思い出されます。うわごとを言う私を見下ろした人間の顔が見えない視力で本当に良かった。

 

 

 

 

 

 

入獄記念

 

悲しみがそこかしこに積もって、きちんと息をすればするほど何もかも残酷です。鼻から入る冷気が瞳の奥をひどくばらばらに破壊して、涙なんて綺麗なものは出なくなった我々の目にただ一つの希望を与えたようでした。

私はこの人になりたい!この人になりたいんだ!いついつまでも人間と自分との差異について、もそもそと悲しんだり諦めたりしていて、どこにいったって何をしたって誰と知り合ったって私は平々凡々です。女として優れているわけでもなく、たいして自分の外見を変える努力もしていないままで、誰かに好いてもらおうだなんてちゃんちゃら可笑しい話だったんだ。セックスもオナニーも今は本当に遠いところにある何かで、私の手に負えるものではありません。

あの人は私の頭の足りないところが我慢ならなくなったのやも知れん。きちんとした手続きや契約や関係が無かったからこそ、そこに一切の恋愛感情はなくただただ100%の信頼があったからこそ、私は面白がられなくなったのがこんなにもつらいのだ。

いままでいられた心地よい空間がじわじわ空中分解されていき、いつの間にか私たちは別々の場所に押し流されていくのだろうかと不安で不安で仕方ない。私のせいじゃない、私のせいじゃない、と思いつつ、舵を取っていたのはいったい誰だったのか知りたくて知りたくてたまらない。全員を詰問して泣かせなければ気が済まないんだ。

 

こんな状況を打破するには、もう就職も、気に入らない誰か何かに雇われて生活することもやめるしかないんです。

自分の労働が誰かのためになっている!どんな職業だってそう考えることが出来る!だなんて、私に電話越しに言った同い年の青年はあの北の大地でまだ一生懸命に誰かをトレースする日々を送っているんでしょうか?人のためになる労働なんていまの社会であり得るんでしょうか?

非生産的であることが許されなくなったら、待っているのはT4です。

人間が好きだ!人間と関わっていなければ!と思う反面、もうお魚にでもなってしまいたい私は、果たしていつまた誰かに面白がってもらえるのだろうか。好きとか嫌いとかもうどうだっていいんだ。私はひたすらになにかし続けなければならないンだ

 

脊髄文

2015年の1年間をかけて分かったのは、私は人間というものがすこぶる好きなのだということです。批判されて指摘されることでしか、自分は成長できません。悲しいくらいに平凡です。革命家の素質は、話してるだけで人を楽観的な気分にさせてしまうことだと、そう言われたのですが、自分はどうなのだ、と自問するのは苦痛です。

2016年の目標は暴力革命です。家を買うことです。努めて様々な人間と会うことです。

 

風邪をひいたんですが、毎日のようにバイトだし、家を買うためにお金がいるし、寂しくっても咳は出るし、いろいろが健やかです。会いたい人に会えない憂鬱はおそらくいつまでたってもどうにもなりませんが、朝起きたら隣に人がいないというのは致し方のないことです。体と心がきちんと同時に悪くなってくれないと具合がよくない。さびしい!さびしい!って思った時にさびしい!さびしい!って言ってしまうのは原始です。まったく思考回路に大脳を仲介させないと、このような文章が書けます。脊髄文です。

サティスファクション・オールグリーン

ダンボールで指が切れてそれがとっても嬉しい気分を運んでくるのってわかる?傷とか跡とか血液は愛だよ。まぎれもなく愛。重たいものはみんな愛。最初はじくじくして痛くて、でもそんな痛みもだんだん身体の中に取り込まれていっていとおしくなっちゃうの。あとは舐めたり甲斐甲斐しく絆創膏を替えてやったりお世話してやるだけでいいんだ。傷は人間の誰にでも等しくあって、みんなそういった自分の持っている瑕疵や多肢をぺろぺろ舐めて自愛しているんだって。ただそれだけなのに、傷ついた傷つけられたってわいわい騒ぐのが好きな人たちっているんだよ。

 

裏切っただの裏切られただのってそんなこと気にしちゃうようになってて、自分から手放したくせして、嫉妬はちゃんと機能しているってわけ。こんなちぐはぐでわがままで不完全な器官だけど、それなりに愛してほしかったり。けどそれはあの人間じゃなきゃだめなのが本当に憂鬱で辛い。でも私が悪いんじゃない。こんなことになっちゃったのはあの二人のせいでしょ。そうやって言い聞かせてないと、あのやっすいメロドラマのワンシーンみたいな空間の凍りつき方を、狭い部屋に流れたあの空気をやり過ごしたり出来ない。タバコもお酒も私を助けてくれないし、セックスしたいけどする相手もいないし、なんだってこんな袋小路みたいな曖昧さに絡めとられてるんだ。みんな死んじゃえ。原発は爆発しちゃえ。資本主義はどっか行け。誰か空から降って来て、私を違う場所に押し流してくれ。