暮らしで湧き上がる死にたさ所感

siaの”chandelier”いい曲でびっくりした。DiorのCMソングだったやつ。昔の自分のこと思い出した。「明日が来ないみたいに生きていた」パーティガールだから傷つかないと思われて、雑な言葉に死にたくなっていた時のこと。君は助けてくれなかった時のこと。信じられないくらい孤独だと思ってたけど、宇宙に一人だけでも生きていけると思った夜があった事。

キツいぜ、キツい日々が続いてる。

言いたいことは言葉にならないものだし、出掛けようとしたら雨がふってる。昔のアパートのときは、家の外に木がたくさんあってベランダに出ればいい匂いがする花が咲いてて、雨が降るとマーガリンみたいな匂いがして、そういうところがとても良かった。

もう会えないかもしれないと思いながら会ってる人のこと思い出したり、毎日会ってても悲しみばかりが募る人のこと考えたりしてる。人のことを考えている時にしか、本当にダウナーにはならない。

来客予定がものすごい憂鬱だ。この前のバーベキューブチ切れと来客予定が、今回のダウナーのもとと思われる。良い想像がつかない、きっとまた酷いことになるだろうなと思ってる。でもそれは自分が弱いから、勝手に傷ついてしまうだろうなという後ろ向きな予感でしかない。

自分の感覚が信じられない。陰湿で、冷たくて、気にしすぎで、人のことを管理したがっているのかもしれない。自分の活動の大義を振りかざして、人をアンダーコントロールしたい欲求を満たしているのかもしれない。活動のためとかいって、理念がどうとか、人と暮らす時のマナーがどうとか、そんなことを言いながら本当は自分の欲求を満たしているだけなのかもと思ったら本当に悲しくなってしまった。

自分は間違ってるかもしれないとか思っていたら人を楽天的にすることは出来ない。自分はこんなスペースを運営できるほどの才覚なんてホントはないんだよね、自分は扇動家にはなれないし、リーダですらない、ただのわがままな人間だ。本当はずっと分かっているんだけど、あきらめが悪くて、好きなことをしてしまう。好きに生きようとしてる、人を巻き込みながら、最低なんだ。嫌だな、みんなのことが好きなのに、上手くいかない、何も考えていないのは自分だ。悪い予感を良い予感に変えられないのは自分が弱いからだ。

何の自信もなくて、人とうまくできないと思っている。いつもみたいに接客モードで人を接待できるか自信がない。傷つかない自信がない。私は人にないがしろにされるのだけはもう本当に嫌なんだよね、他のだれかにどれだけ雑に扱われてもいいけど、きみにだけはそういう雑な扱いをされたくない。無視されたくないし、もういない奴みたいに扱われたくないし、気遣われないことで傷ついたりしたくない。

でもどうせと思っている。どうせまたキツイことになると思ってる。だっていままでずっとそうだった。どんなに脈が速くなっても、緊張で手がしびれても、声が震えても、伝えてきたことが、いつだって軽く思われて、どうやったって伝わっていなくて、きついなぁ。
避けたい、あんなことはもう避けたい、もう死にたい、もう消えてなくなりたい、どこか遠くに行って、元気になって帰ってきたい。もう何も見たくない、綺麗なものだけ作っていたい