電車

 

ブロックは拒絶でミュートは無関心。昨日のことは昨日のこと。駅名はただの駅名。4時に授業が終わって、駅に着くのが4時半で、大宮を越えるのが大体5時すぎ。赤羽を超えて、変な名前の学園がどんどん遠くなる。7時には池袋につくけど、気持ちはすっかり肺の奥で凝固してしまっている。ほぐれないで、どんどんもつれる。もどる、のぼる、はやくなったりおそくなる。電車の中で見る夕暮れや、知らない人の携帯画面や、向かいの窓に映る自分のさえない顔は美味しいお薬だ。必要ないのにぱくぱく食べて暗い気持ちになります。物理法則はこんなにあからさまなのに、電車ではいろんなことが戻ったりとまったりしちゃう。

 

人間がわからない。分からないことに絶望しているんじゃない。分かり合えないことにも絶望してない。これらは全部諦観の類なんです。でもどうしてやっぱり人間関係は合わせ鏡で、私が望むことは望まれないし、私が望まないことは望まれているんだ。結局なんにもごまかせない。セックスしたってね、たばこを吸ったってね、本当の人に相手にされなくてそこらで手を打つんだ。いや本当の人なんてどこにもいないのかもしれない。嫌いなところも好きだと思える境地にいたっても、あの人は知らない女の子からの手紙を大事にしている。あーあ