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安心したい誰かのせいで、いつも安心できないのは自分です。何もかもほしいって思っても、何にも手に入らない。こんなにだれとでも話せるツールがあるのに、誰とも繋がれないのはどうしてなの?みんなだいきらいでみんなしんじゃえって思っても、次の日にはもうだめで、面白がって!ねえ面白がって!私と一緒に加速して!って思っている。

隣人のことを愛したい、人間はかくあるべし、愛よここにあれ。かけがえのない存在なんて、絶対にいなくて、みんな何もかもに変換代替が可能なんだなって思います。それが資本主義ってことなんじゃないの?

もう何も考えたくないんです。誰かのために買った服も、気取った靴も。どこかにおいてきたいのに、捨て置けないのが人間でしょうか?冴え冴えとした空気の中で、私は常に鬼で魚です。私の肺の中にはあの人のためのスペースが少なからず用意されていて、けどそれがどんどん歪んだり切り刻まれたりするせいで、人とじょうずに交わることが出来ないんだ。